トマト
トマトは野菜か果物か、という古い論争がある。往時の米国でのこと、輸入野菜には10%の関税がかかるのに、果物は非課税だった業者がトマトも果物だと訴えると、「デザートにならない」との理由で退けられたという。近刊 『極楽トマト』(講談社)で知ったサラダにしたり、小エビを詰めたり、なるほど、赤い実の役どころは前菜か付け合わせのようだ。蒸し暑いタには、うんと冷やしたのに塩をふるだけでいい。皿の上の晴れ姿を思い描きながら、トマト2鉢をベランダで育ててきた。赤いミニとオレンジ色の中玉である。黄色の花がしおれると、小さな青い実が残る。それが膨らみ、梅雨の盛りに次々と色づいた休日の朝、起きがけにいくつか摘んだ。これ以上のもぎたてはない。店頭の品より皮が厚いが、ほのかな甘みと酸味がうれしい。ひいき目で合格点とし、苗を下さった人に写真を添えてお知らせした。儼り足り朝のトマトの甘きこと浦部熾(おき)鉢や土への出費を思えば高価な粒となったものの、ささやかな自給自足に学んだことは多い。照れば葉が降れば根が吹けば実が気になる明け暮れ。<オロオロアルキ>の宮沢賢治である。農家には笑われようがくさんの「案じる」があると知った。かなりの地方で一気に梅雨が明けた。農業では盛夏に備えて水をため込む時期ながら、頃合いというものを知らない雨のこと、残した。ほどなく「食べるだけ」に戻る身ではあるが、天変地異のない、しっかりした夏を願う。
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幸せになりたいのなら、なりなさい。(トルストイ) | Hãy sống thật hạnh phúc nếu bạn muốn trở nên hạnh phúc. – Leo Tolstoy