「実は、〇〇と 関係があるのですよ。それに思いついてできたのです」どうしても解けないでいた問題を先に解いた人から言われ、それだったら、自分のほうが経験が豊富だ し、知識があるし、「俺にもできたはずなのに……」と悔しい思いをうることがある。アイデアにしても、「このぐらいのアイデアだったら、自分の考えついて もおかしくないのに」と思うことは結構、多いものである。
記憶力には、覚える力と引き出す力の二つがある。いくら覚えても、それを引き出せなければ役に立たない。しかし、覚えていないものは引き出しようがない。つまり、その両方を鍛えないと、記憶力は生きてこないのである。
(中略)
コンピュータは一人の人が覚えきれない、そもそも普通なら出会うこともない膨大な情報を記憶しており、われわれはそれを検索エンジンによって、検索引き出 せる。しかし、人がある問題解決をしている時は、そうしてコンピュータから引き出した知識が、短期間にせよ自分の頭の中に、それまでもっていた知識ととも に記憶構成されなければ役に立たない。
コンピュータがいくら豊富な知識を内臓していても、人間自身がそうして検索した知識を、覚え、関連づけ、再び引き出すという訓練をしていなければ、宝のもし腐れである。では、どうしたら、そういう関連して引き出せる記憶とすることができるか?
記憶力を鍛えるいろいろな本が書かれているが、残念ながら、私には特効薬があるとは思えない。
が、まず、覚えるときに、理解して覚えることである。理解して覚えたことは正しく出てくる。例えば、問題を解く時でも、「あ、これは昨年解いた問題と似て た問題だ」と気がついてすらすら解けることがある。しかし、昨年解いた問題をしっかりと理解していないと、関係がわからないために脳の中で連結することができないのだ。うろ覚え(注4)ではどこかに穴ができて、あとで活用することができない。
つきに、どんなことを読んだり聞いたりしても、自分の知っていること、経験したこととの関連を思い浮かべることだ。いつも、「もしそうなら」とその役立ち方について想像を膨らませながら新しい知識を覚えることである。それが知識への感受性をたかめる。
記憶をアイデアや創造という問題解決に生かすためには、一つ一つを覚えるときに、「わかった」と「もしそうなら」からスタートすることであろうか。
Danh sách thành viên đã làm bài
正直は一生の宝。 | Sự thật đáng giá ngàn vàng.